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「鏡の中を数える」に関わった関係者の中で、もちろん最も長い時間を費やしてくださったのが、宇戸清治先生です。この本との関わりを伺ううちに、とても興味深い「タイ文学ミニ講座」になりました。 |
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<プラープダーとの出会い>
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僕がプラープダーの存在を知ったのは、「東南アジア文学への招待」('01年11月刊)という本を編集していた時でした。タイ文学概論の最後のパラグラフでは、期待される新世代の代表として彼の名に言及したのですが、翌年('02年)見事に東南アジア文学賞を受賞したんです。僕の読みは間違えていなかったと、すごく嬉しくなりました。それから本格的に読み始め、確かにこれは面白いと確信していきます。
彼とは電子メールでやりとりを続けていましたが、その年に初めて新宿で会うことが出来ました。非常に礼儀正しく、話していても聞き上手だし、相手にとても安心感を与える人。ますます好きになりました。
「新潮」('04年3月号)でタイの注目作家の短編を訳してくれとオファーがあった時には、躊躇なくプラープダーを選びましたね。その時に初めて訳したのが「存在のあり得た可能性」です。発表後、かなり反響がありましたよ。
<短編を訳す上での苦労>
タイの文芸評論界で言われているように、彼の書く言葉は、それまでのタイ語の使い方じゃないんですよ。特に修飾語の使い方が独特で、名詞に特殊な意味を持たせたり、文法的にひっくり返したり、付くはずのない名詞と名詞をくっつける。ある時は言葉遊びですが、深い意味を持たせていることもある。その2つが混在しているんです。
それをそのまま日本語に訳して、むしろその不思議さが生きてくる場合と、ただ混乱させるだけの場合とあり、十分な見極めが必要でした。しかし外国語の翻訳には常につきまとう問題ですが、現地では通じる言葉遊びでも、日本語にはなかなか訳しづらい部分が必ず出てきます。
例えば「鏡の中を数える」の「バーラミー」を見てください(28ページ)。ぼくは水牛(khwaai)のkhよりも、人(khon)のkhのほうが好きだが、と出てきます。タイ語の子音42字の中で、同じ発音の子音が3つある中で成り立つ表現ですが、タイ語を知らない人にとっては面白くもなんともない(笑)。しかし、この言い回しにも意味があります。タイで水牛は軽蔑される動物なんです。力持ちだがおとなしいだけだと。特に東北タイ出身で学歴が低く3K仕事に従事している人たちのことをバンコクでは、水牛といってバカにするんですよ。しかしプラープダーが言えば、ただ水牛より人間のほうがいいという意味にはならない、その逆。読んでいる人の通俗的な差別意識に対する痛烈な皮肉が込められているんです。このように彼の文章は、注意深く読まないと隠された意図を見逃してしまいます。
<すっきり読めるタイ文学>
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僕の翻訳手法はこれまで日本で訳されてきたタイ文学とは決定的に違う方法をとっています。それは、文意を補う必要のある箇所以外は、できるだけ注釈をつけないということ。過去に翻訳されたタイ文学には「注」が多すぎるんですよ。他の国の文学にはなくても、東南アジア文学となるとなぜか「注」が多かった。
なぜそういうことになったか。タイ文学の中で一冊の伝説的な本があります。農民作家による作品「タイ人たち」です。日本語に訳されるより前、70年代初めにまず英訳されると、アメリカでかなり評価されました。文学として読まれたわけじゃない。その頃、タイに調査や旅行に行くということは「探検」並みのことでしたから、タイの農村の状況や農民の考え方を知るためのいい教科書になったのです。その影響があって日本でも、当初翻訳に尽力された方たちが文化人類学とか農業経済学者、言語学者などだったために、何かと「注」で知識を広めようと発想したんですね。そんな時代はもうお終いにしなければならない。文学作品の本質を伝えなければ、というのが僕の考えです。
<短編12編の選択基準>
「鏡の中を数える」では、2冊の短編集と文芸誌から12編を選びました。まず東南アジア文学賞を受賞した「存在のあり得た可能性」は必須。それから短編集の表題作は重視しようと。さらに、日本人にとって面白さが理解しやすく、他の国の短編ではあり得なかった、好奇心を起こさせるものを入れたいと思いました。
もう一つ気を配ったのは12編の順列です。「バーラミー」では、彼と文学の関わりみたいな部分が面白い設定で書かれていますね。これを出だしに作家生活の作品が紹介され、最後の「マルットは海を見つめる」では、作家としての自分のあり方に対する自己反省、警鐘が読みとれる。つまりプラープダーで始まり、自己批評するプラープダーで終わる、そんな流れにしたいと思いました。
<タイ文学史における意味>
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僕はタイ文学を一生の仕事にしているわけですが、実は80年代くらいまで、タイ文学の翻訳、研究に一生を使うということに少し不安を覚えていたんですよ。東南アジアの文学はレベルが低い、などという偏見からは自由なつもりなんですが、欧米文学、日本文学その他、随分たくさん読んできた中で、一般の人々に手にとって読んでもらい感嘆させるレベルには達してないなあという気持ちもあった。
タイ文学では「生きるための文学」「民衆を教え導くための文学」の影響が長く強すぎたんです。読んだ人たちがためになり、生きる上での糧になり、困った時に解決の参考になるものであるべきだと。一言でいうと、面白くないんですよ。日本でも明治時代中期に、政治運動家たちが民衆の覚醒のための手段として文学を使った時代もありました。どの国も近代化の過程で通った道でしたが、タイは軍事独裁が長く続いた悪弊もあって、文学的停滞が長すぎたんですね。世界の趨勢からかけ離れた非常にローカルな文学として留まっていたんです。
それをうち砕いてくれたのがウィン・リョウワーリンです。彼の主張は明快でした。やはり読んで面白いことが一番だろうと。長編の本を書くより雑誌の2ページを借りて連載したりして、文学にはこういうことも出来るんだという手本を示してくれた。僕もそれはいいなあと思ったんですが、ややもすると小手先の方法論になりがちで、文学の本質とはちょっと違う。やはりまだ他に助けが欲しいと思っていた時に、プラープダー・ユンという人が出てきたんです。
興味深いのは、プラープダーもウィンも外の風に吹かれている点ですね。アメリカで長く過ごしていて、新しい芸術や映画、文学に触れ、英語も流ちょうだしグローバルな見方や考え方で世界にも発信できる。当然この動きはタイの経済発展と繋がっています。階級として悩んだり解決するのではなくて、個人が現代をどう生きるかが問われ始めた、そういう都市化の変遷と軌を一にしているんです。プラープダーの同世代にもネットで小説を書く人などが出てきていますが、これからもずっとこの傾向は続くでしょうね。
<新境地を切り拓き続ける才能>
彼の作品はどれも本当に面白いですよ。僕の専門(タイ文学)かどうかなど抜きにして、現代世界の小説として僕は楽しめるし、次にどんなものを書くのかが楽しみですね。彼は作家として常に格闘している。書くたびに新境地を少しずつ切り拓いているのがよく分かるんです。ただ、作家はミュージシャンやマンガ家と違って、書いた文字で勝負。これだけ才能があっても、訳されない限り他の国ではそれが伝わりません。僕の力の及ぶ限りで応援していきたいという気持ちはずっと持ち続けています。(談) |
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■宇戸清治(ウド セイジ)
福岡県生まれ。五島美術館学芸員補のかたわら早稲田大学社会科学部卒。76年より4年間、海外技術者研修協会バンコク長期出張員としてタイに滞在。帰国後、東京外国語大学大学院修士課程を経て、86年助手。現在、同大学教授。専攻はタイ文学。著書に『タイ文学を味わう』(国際交流基金アジアセンター、1998年)、『インモラル・アンリアル:現代タイ文学ウィン・リョウワーリン短篇集』(発行所:財団法人国際言語文化振興財団、発売元:サンマーク出版、2002年)がある。他に『東南アジア文学への招待』(段々社、2001年)を共著、『デイリー日タイ英・タイ日英辞典』(三省堂、2005年)、『世界の文字と言葉入門:タイの文字と言葉』(小峰書店、2004年)、『初めての外国語:タイの言葉』(文研出版、2007年)を監修。
宇戸研究室のホームページは、こちら(http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/udo/) |
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