REVIEWS | 批評・時評
 
『座右の日本』制作の背景をご紹介する対談特集。ご好評を受けて第2弾も企画いたしました。『座右の日本』翻訳者の吉岡憲彦さんと今回お話しいただいたのは、タイ日で活躍する人気漫画家ウィスット・ポンニミットさんの日本でのマネージャー、木村和博さんです。ご存知の方も多いと思いますが、ウィスットさんはプラープダー・ユンの親友で、タイで出す本はもっぱらプラープダー主宰のタイフーン・ブックスから刊行しているほど。日本への留学経験をもとにした漫画本『タムくんとイープン』(新潮社)を2006年に刊行して好評を集めました。吉岡さんと木村さんは、タイで暮らした時期も重なっており、プラープダーとも旧知の関係ということで、『座右の日本』が持つ意味を紹介し、彼個人へのエールも込めて、ざっくばらんにお話いただきました。
<タイのカルチャーシーンへの親近感>



吉岡憲彦(以下、吉岡) 木村さんについて、まず読者にご紹介すべきかも知れませんね。

木村和博(以下、木村) SOI MUSICという名前でタイの音楽のイベントをやるというのがあるんですが、最近あんまりやってなくてですね。2007年に大きかったのは、タイのアートの展覧会ですね。『Show Me Thai』展(東京都現代美術館)のコーディネーションをやったり、タイのFAT FESTIVALというイベントで、日本人アーティストの展示のコーディネーションをしたり、アート系のコーディネーションの仕事が最近多いです。あとはウィスット・ポンニミットのマネージメントをやっています。ただ、基本は音楽のイベントをやりたいというところがあって、12月に日本のデジタルアートフェスティバルというイベントで、小さいライヴのイベントをやりました。あとはCDの企画もやっていて、2007年はタイのsmall roomというレーベルから、フリッパーズ・ギターのトリビュートアルバムを出しました。本当は日本で発売する予定だったんですが、いろいろあってタイ版が先に出ていて、日本版は今年に出るかなあと。

吉岡 木村さんと最初会ったのがいつだったか、ちょっと憶えていないんです。

木村 SOI MUSICじゃないですかね。バンコクのSOI MUSICは、初めに吉岡さんに相談を持ちかけたんですが、途中で吉岡さんが帰国されちゃったんですよね。でも助成プログラムに助成していただいて、最初のイベントを2004年の9.11にやってから、日本では10月末に3日間連続のイベントを青山スパイラルで。あの時にとてもお世話になって。

吉岡 あの頃から、プラープダーさんとかウィスットさんとかが、少しずつ出てきている感じがありましたね。実は僕、ウィスットさんとは一番最初、2002年の国際交流基金のプログラムで会ってるんですよ。日本に一度来てもらったことがあるんです。その時がたぶん最初で、まだ彼は、木村さんとも知り合っていなかったんじゃないかな。

木村 いや、知り合いだったんですよ。僕は2001年にバンコクに住んでいた時に知り合いになって。基金がウィスットを呼んだ時に遊びに行って、そのままウィスットと下北沢に遊びに行っていたんです。

吉岡 あ、もうその頃から?

木村 そうです。その後、バンコクに行くたびに会うようになって、ウィスットが神戸へ語学留学に来る時に、アパートの保証人になってあげたりしたんです。

吉岡 その頃、木村さんは大手企業の社員だったんですよね。木村さんのタイとの関わりは? どうして東京外語大のタイ語学科を選んだんですか?

木村 本当に何も考えていない高校生だったなとしか言えないんですけどね。ヨーロッパのことは勉強したくなくて、アジアにしようと思っていて、あとは適当に選びました。でも選んでみたら、わりとはまって、ちょうどその頃ウィスットが漫画の雑誌でデビューしたりで。雑誌『a day』が始まったのもそのぐらいで、ベーカリーの音楽があったり、small roomがCD出したりと、いろいろ出てきたんですよね。もともと僕、そういう趣味があって、なんかタイにも面白いものがあるな、と思って探していました。でも同じ視点の日本人が全然回りにいなかったんです。タイ語の先輩なども、ちょっとポイントが違うんですよね。

吉岡 どう違うの?

木村 たとえば、タイの音楽を聴くんだけども、それはもともと音楽ファンというわけではなくて、タイが好きだからタイの音楽を聴くみたいなところがあって。その他のいろんな面白い音楽と一緒に並べて聴くみたいな人が、あんまりいないんですよね。映画に関しても、タイの映画を他のいいものと並列で観るんじゃなく、タイが好きでタイの映画に詳しいという人が多いんです。日本人はよくタイに行くのに、どうも僕が思ったポイントがみんなないな、と思っていました。だったら自分で面白がっていったらいいんじゃないかな、と学生の時から思っていたんです。

吉岡 その頃だと、SOI MUSICを立ち上げられた遠藤治郎さんや、植田桃子さんなどが集まって住んでいるアパートがありましたね。

木村 いや、その辺のカルチャーシーンって、大人のシーンなんですよ。モダンドッグとかFUTONのビーとかっていうのはすごく大人の世代。でもウィスットとかデス・オブ・セールスマンって、もっとガキンチョなんですよね。僕が知り合ったのがそういう、もっと下のゾーンだったんです。

吉岡 ひと世代ぐらいずれてる。

木村 そうなんです。僕はそのゾーンしか知らなくて、モダンドッグとかはあまり知らなかったんです。それで、後から遠藤さんと出会って、遠藤さんはこっちを知ってると。で僕はそっちのほうを知ってるという感じで、会うようになりました。
※写真は、2004年に青山CAYで開かれたSOI MUSICのライブイベントの模様(提供:SOI MUSIC)
<画期的だった『地球で最後のふたり』>



吉岡 プラープダーさんと知り合ったのは、いつ頃?

木村 『more or less』を編集される前には知っていたんだと思うんですよね。BUAHIMAのCDを出す前から知ってはいたんですけども、作品を読んではいなかったんです。プラープダーさんの本って版を重ねるたびに装丁が変わるし、あ、いいなと思って買い集めたりはしていましたが。将来的に読むかなと(笑)。でも難しいんですよ、やっぱり。授業では少し読みましたね。

吉岡 授業で読んでも面白くない? 映画との関連で教えられたりするんじゃないんですか?

木村 僕は、面白いものは自分で探せばいい、なんて思うタイプでしたね。タイ映画は古いというイメージがあったんです。その頃、授業で見せられる映画って、昔の田舎の先生の映画とか、そういうものばっかりで。僕はもうひとつ分からなかったんですよね。ただ、あの頃から『地球で最後のふたり』とか『怪盗ブラックタイガー』とか『わすれな歌』とか、すごく違う表現で、ハリウッドっぽい映画じゃない映画が出てきた。繊細なのにタイ的なエンターテインメントっぽい要素もあって、すごくいいなと思ったのが『わすれな歌』。それでペンエーグ(・ラッタナルアーン)監督に興味を持って、『地球で最後のふたり』が出た時に、もう本当に「わかるぅー」って感じで。機微みたいなものが深く表現されていていいなと思いましたね。ちょうどあの頃、同時に『ロスト・イン・トランスレーション』が流行っていたんですよね。でも観たら、なんでこういう切り口なんだろうなと。

吉岡 あれはあれで、ひとつのやりかたなのかなと思ったんですけどね。僕も『地球で最後のふたり』と『ロスト・イン・トランスレーション』が同時期だったのが印象に残っています。両方とも日本に関わっていて、どっちの映画にもエレベーターの中のシーンがあったんです。『ロスト・イン・トランスレーション』では、ビル・マーレイが主人公の女性とエレベーターで一緒になった時、ちっちゃい日本人がいっぱいいて、2人だけ頭ひとつ飛び抜けていて、お互い意識し始めるところがあって、そこはもう、ジーッと見てるんです。その主人公の女の人を、ずーっと。それもまあそういうやりかたなんだろうなと思いつつ、かたや『地球で最後のふたり』では、浅野さんとノイがエレベーターで一緒になった時、浅野さんは目がキョロキョロして挙動不審になってしまう。その2つのシーンが典型的に全く違うなと思いました。もしあのシーンをソフィア・コッポラ監督が演出したとすれば、全然違う形になったんだろうなとか思うと、僕はペンエーグさんのほうに親近感がある。分かる。それをすごく感じた憶えがありますね。

木村 日本人の置き方が違うんでしょうか。『地球で最後のふたり』は日本人も一緒に、仮に間違えていても描いていこうとしているけれど、『ロスト・イン・トランスレーション』では一緒にエレベーターに乗っている日本人たちって関係ない…。

吉岡 背景になっちゃう。

木村 そう、背景ですもんね。

吉岡 たしかペンエーグ監督も、『地球で最後のふたり』を撮りたいと思った動機のひとつは、バンコクにいっぱい日本人がいるのに、よく知らないから、というふうにおっしゃっていましたね。自分たちだけで固まって、タニヤとかパッポンとかに行っちゃって、全然タイ人と接点がない。暑いのにみんなスーツを着ている、とか。それが全然分からないから撮りたい、と。それがあそこまで映画にできるっていうのはすごいなあと思いました。『ロスト・イン・トランスレーション』では風景として切り取っているような感じがあるのに対して、ペンエーグ監督のほうが、知りたいところに入り込んだ感じがありますね。

木村 プラープダーさんの脚本の力もあるでしょうね。日本人とタイ人とが仕事できちゃうというのも面白いと思いましたけどね。
※写真は、『地球で最後のふたり』タイ語版のパンフレット
<『座右の日本』と『タムくんとイープン』>



木村 『座右の日本』を読んで、僕がすごくいいなと思ったのが、映画評論の部分とかよりも、コミュニティ論みたいなところでした。携帯電話の話がありますよね。日本人と携帯の感じ、タイ人と携帯の感じなどを比較して、コミュニティの考え方や受け取め方とかで、ああ、確かにそうだなあと思うところがたくさんありましたね。とっても面白いなと思いました。あと、マイノリティ論とかも。

吉岡 一歩引いたところで見ているところがありますよね。

木村 そうそう。

吉岡 その面白さを言おうとすると、やっぱりウィスットさんの『タムくんとイープン』の話をしたほうがよさそうですね。僕も、すごく好きなんですよ。例えば一番最初の「川」。これこそ日本に来て、ウィスットさんが最初に感じたことだと思うんですけど、プラープダーさんとは違う部分です。『座右の日本』の最初の章(「日本をあばく」)では、楽しみにしていた日本へ初めて来た時に、入国検査を通過して「気づくと落ち着かない手で、ばい菌など構わずにあちこちを触って歩いていた」と言っているんですよね。ウィスットさんの場合はプラープダーさんよりもっと妄想があったのかも知れないんですが、行ってみたら、とにかく人が川のように流れている。でも、どこに向かっているか分からない、みたいな。僕もタイに5年いて、久しぶりに帰ってきた時に、全く同じようなことを思いました。そんな、言葉や絵にはできないことを、ウィスットさんは両方いっぺんに言い当てていて、すごくしっくり来るところがあったんですよ。
タイの場合、例えばイベントでブースを構えて立っていると、フラっと来る人が結構いるじゃないですか。必ずしも暇なおじいちゃんやおばあちゃんだけじゃなく、学生もフラっと来たりとか、働いている人がフラっと来たりとか。道ばたにも、ただ用もなく立ってる人だっている。でも日本に戻ってくると、絶対何か目的意識がある雰囲気で歩いていたり走っていたり。それがまさに「川」に描いてあったので、なるほど、やっぱり、と思いましたね。

木村 そうですよね。

吉岡 プラープダーさんは、あまりそっちのほうは気にしないのか、全然触れていなかったので、ああ、ふたりは全然違うなって思いました。

木村 今、すごくあの話(「川」)の謎が解けました。意味がやっと分かってすっきりしました(笑)。ウィスットも客観的なタイプだと思うんですけれど、もうちょっと中に入っていっている感じですね。プラープダーさんは「満員電車も考えようによっては心地がよい」なんて捉えられるし、ウィスットよりも、もっと引いて見られるタイプなんでしょうね。



吉岡 きっと言葉にしちゃうからなんでしょうね。プラープダーさんもウィスットさんが羨ましい、と書いてましたが、ウィスットさんは感じたことを絵で表現できちゃうところがすごくて、より日本の人に分かりやすいんですよね。(「川」のワンシーンを見ながら)うん。でもこれ本当に分かりません? とにかく日本は人が流れてて。成田から帰ってきてでっかい荷物を持って帰りのラッシュの時間帯に重なっちゃうと、山手線でみんなドーンとぶつかってきて。チッとか言われたり(笑)。

木村 僕は日本に帰ってくると、もう成田空港から疲れますね(笑)、あの、パスポートチェックの人たちが、やたらつまんなそうな顔でやるんですよね。タイ人も別に楽しそうにはやってないですけど、あんなバッドなオーラは出ていない。3、4カ月行って戻ってくると、へこみますよね。

吉岡 モードの切り替え方なのかなと、今、話していて思ったんですが。実は最近、2カ月おきくらいにタイへ行くようにしていたら、逆に東京もいいなと思うようになり始めたんですよ。それはプラープダーさんの境地なのかも知れません。彼はいろんなところに行ったり来たりしているから、その辺はもう気にしなくなっているのでは、と思うんです。以前、立田敦子さんとの対談でも言いましたが、僕が今、住んでいる家は駅から遠い不便な場所なのに、プラープダーさんが泊まってとても気に入って、歩いている間にいろいろ考えられるし面白いじゃん、と言っていたんです。確かに、タイではタクシーが安くてすぐ乗れるからいいやと思っていても、実は急に渋滞に巻き込まれたり、違うところにイライラしていたり、道がボコボコだからちょっと歩くと足が痛いとか、嫌なこともいろいろあるはずなんですよ。それがタイモードに入っていると気にならなくなっているんですね。そしてタイモードのまま帰ってくると日本の嫌なところが見えちゃう。逆に日本モードに入ってしまえば、成田からの帰路で身体がチューンナップされていくというか。それが昔は嫌だったんです。「日本を降りる若者たち」じゃないんですが、もう降りよう、と思っていたんですけども。でも、日本は日本でみんなが暮らしているんだし、やっぱりちゃんと考えられているシステムなんだなって思うようになりました。

木村 慣れてるからではないのかも知れませんよ。プラープダーさんの仕事ってどこでもできるって日記でも書いていますけど、たぶん自分だけいて、あとはノートとかペンとかあればできるんですよね。だからそのストレンジャー感をずーっと続けているから、そう感じるんじゃないかなあ。

吉岡 なるほどね。住んでいるところがどこだろうと関係ないんですね。以前、ある本で坂本龍一さんが書かれた原稿を読んで共感したんですけれど、それは、距離や時間の考え方がかなり変わってきたという話でした。坂本龍一さんならニューヨークの隣が東京で。例えば僕だったら住んでいる区が練馬区で、練馬区の隣は物理的には板橋とか杉並とかなんですけれど、ほとんど行かなくて近い感じがしないし…。北区なんて、さらに未知の世界…。

木村 タイより遠いんですよね。

吉岡 そう。だから2〜3カ月に1回バンコクに行ってると、タイの友だちのほうが、日本のちょっとした知り合いよりはたくさん会っているんです。生活感、距離感というか、心理的な近さは、タイのプラープダーさんや会社の知り合いとかのほうが、近くに住んでいる高校の同級生よりも近い。その感覚が新しいですよね。ちょっと前だとあり得なかったことです。

木村 例えば、東京区とバンコク区があって、その間を移動するのはただ飛行機に乗って6時間座って降りたら、隣に面しているような。でもその間の台湾とか香港とかは行かないので、僕にとってはなくなっちゃっているんですよ。僕もウィスットとよく会っているので、シーロムとかで遊んでいて、俺どこにいるのかよく分かんないなあ、みたいな気持ちにはだんだんなってきます。

吉岡 例えば『座右の日本』を読んだ方が、あ、タイって近いし面白そうと思っていただけると嬉しいですね。タイに駐在している方でも、タイに興味はあるのに、現代文化のところに興味を持つ人がそんなにいないんですよね。それはクオリティの問題なのか、何か偏見があるのかは分かりませんが。何らかのバリアや距離感を感じているとすると、不思議ですね。それをこういう形で紹介できるようになって、どういう反応があるのか楽しみです。

※写真は上から「タムくんとイープン」表紙、同収録漫画より「川」(部分)

<タイのアーカイブ系が動き始めた>

吉岡 『タムくんとイープン』は、どういう経緯で生まれた本なんですか?

木村 出版社から、描き下ろしで漫画本を出したいという話がありました。日本のことを描く漫画をやりませんか、と。その後、タイでもタイ語訳本が出ました。

吉岡 タイのタイフーン・ブックスからでしたね。タイで日本についての本がたくさんヒットしていますが、その成り立ちとは違うんですね。

木村 そう、日本の本の企画が先でした。表紙にしても本当にその編集者のディレクションで、要はタイ人から見た日本をやらせたいというのがあって。ただウィスットがタイ版で表紙にしたのは、自分でした。自分が日本にいてどう思っていたかという、中身とよく合っていたわけですね。表紙に関しては日本版のほうがちょっと浮いちゃっているかもしれないです。編集者はたぶん日本人論みたいな漫画をやらせたかったし、ウィスットもそういう話を聞いていたけれども、結局、3年くらい神戸に住んでいる中の最後の6カ月くらいでやっているので、日本ダイアリーみたいな感じになりました。ただ、初めて日本へ来た時に感じた「嫌さ」とかを、よく忘れないで憶えていたな、とは思いましたね。

吉岡 面白いですね。これっていつ発売でしたっけ?

木村 2006年7月です。

吉岡 日本の読者は、どう思ったんでしょうね。読んだ方の感想などは木村さんのところに届いていますか?

木村 こういう気持ち忘れてた、とか、常々思っているんだけど、なかなかこうは表現できないとか。スポーツジムの見学時に親切で優しかったお姉さんに、街で会ったらめちゃめちゃ冷たい顔でシカトされたって話なんか、よく分かるっていうのも。あと、日本をけなされてるのか誉められてるのか全然分からない、というコメントもありましたね。表現がすごく正直ですからね。それと、実際に長く住んでいたから、住んでいた者として『座右の日本』とはちょっとタイプが違う見方になっていますね。

吉岡 そうか。より具体的ですものね。

木村 プラープダーさんは住んでいないから、そうじゃないよと日本人は思う点もあるかも知れないですけど、本当にストレンジャーが来て書いているものとして、気づかされるところはやっぱり多いですよね。あと『座右の日本』には、日本に詳しいタイ人という視点だけじゃなくて、ニューヨークに住みながら日本を見ていた人の視点という、もう一個、別の視点があるんですよね。それがすごく面白い。ロンドンやパリ、ニューヨークなどの留学生仲間では、日本人とタイ人が仲よくなりやすいという話がありますね。プラープダーさんはそれをちゃんと自分も体験していて、かつ、この本の中で描いているので、それもすごく面白いんですよ。だから、日本論みたいなのに、タイのことも一緒に見れている、タイ論ぽいところもありますね。『座右の日本』って、タイの基礎知識がなくても読めるタイビギナー向けの本かなと思っていたんですけれども、読んでいると、そうじゃなくて、タイのことをよく知っている日本人も、タイのことをすごく発見できる本かなと思いました。

吉岡 これはないんじゃない、って思ったところはありましたか? もっと勉強しろよ、みたいな。

木村 そうだなー…。『ロスト・イン・トランスレーション』の評論にはうなずきましたが、『フラガール』の議論がちょっと分かりづらかったですね、後半の、そのフラガールたちがヨーロッパ的な要素を入れるのをエンターテインメントっぽく評価している。でも、フラダンスの話題が入ったりするじゃないですか。この議論がちょっと、どういうふうに進行しているのか、分かりづらかったです。

吉岡 その後半のほうの議論が、実は僕は好きで。『フラガール』はそういう映画だけれども、タイでは外国の文化をあんなに一所懸命頑張るところまで行かない、という話でした。例えばテレビ番組でいうと『TVチャンピオン』とか、料理の達人みたいな、ラーメンの味の違いが分かる人とか、ケーキもちょっとかじるだけでどこのケーキか分かっちゃう人とか、日本人はジャンルを極めようとするじゃないですか。失礼な言い方ですが、それがなかなかタイの中では見えてこないなって感じたことがあります。

木村 良さを測る基準となる物差しが、タイと日本とでは違うのかなって僕は思っています。タイの良さって、日本の物差しでは測れない良さなんですよね。アーカイブしていかない良さ、というか。逆にタイの人って、雑誌編集とかデザインとか、サラッと器用だし、編集感覚がとっても上手なんですよね。いろんなパソコンのアプリケーションを駆使して、サクサクサクっといろんなものを作っちゃったり。そんな点は日本人より上手だなと思っているんです。でも日本人はもっと突き詰めて歴史化してしまって…。

吉岡 そうなんです。それを僕も思ったことがありますね。基礎的な部分を例えばアートと考えて、応用をデザインと考えるとすると、日本は一応、両方頑張っていると思うんですけれど、タイって応用のほうだけをちゃっかり取ろうとしているイメージがあるんです。

木村 そうかもしれないですね。



吉岡 デザインがうまい人は、確かにすごいなって思うんですけれど、そこから次に行こうとした時に、基礎の層がちょっと薄いために進まないイメージがあります。僕はウィシット(・サーサナティヤン)監督の『怪盗ブラックタイガー』を封切当時にタイで観た後で、すごい感動して、タイの普通の人たちに面白い、面白いって言ったら、え? っていう感じでした。映画評論関係の人たちは面白いと言っていたのに、当初の興行収入はすごく悪かったんです。なぜ一般の人が喜ばないのかなと思っていたら、あれって60〜70年代のタイ映画のシーンとか、考え方などが巧妙に入っていたのに、一般のタイの人にとって、それが観られないんですよね。よほど意識的にビデオを持っている人じゃない限り、観られる場所がないんです。日本だったら黒澤明も小津安二郎も全部DVDになっていて、観ようと思えば誰でもアクセスできるのに、タイの人って、よほど意識してフェスティバルや過去の回顧展みたいなものに行かないと、容易に観られないから、そこも踏まえた何かをやろうとすると、どうしても積み上がっていかない。だから表層の差異で競争しているし、応用のバリエーションだけで選択されている感じがします。音楽でも技術的には本当はすごくうまいんですよね。

木村 そう、うまいんですよ。

吉岡 誰も努力の人って顔はしていなくて、さりげなくしているけど。

木村 でも今、日本の音楽は停滞期だとよく言われていて、売上もクリエイティビティも停滞していますが、それって過去をひたすら参照して次に進まないと駄目なせいもあるんですよね。

吉岡 うーん、モダニズム的なんでしょうね。

木村 そう。越えていかないと駄目っていう強迫観念みたいなものがあったりする。でもタイの人って、アーカイブが10年間くらいしか頭にないから、あんまりそれは気にしないで、サクサク次へ進んで行けるのかも知れません。

吉岡 それはあるかもしれない。だから逆に言うと、玉石混淆になってしまって、選ぶのにエネルギーがいる。あ、新しい人が出たと思って観に行ったら全くしょうもなかったりして。そうかと思うと、いつの間にか、あれ? っていう人が出てきたりするんですよね。

木村 それが面白いんですけどね。プラープダーさんって、タイでは珍しいアーカイブ系だと思うんです。表現の仕方が瞬間でエンターテインメント、というタイプじゃない。だから、タイでやってるとストレスが溜まったり、理解してくれる人が少ないんじゃないのかな。それを自分ではどう思っているのか、知りたいですね。

吉岡 恐らくプラープダーさんは、自分の中でどんどん過去を越えて行く、いわゆるモダニストなんですよ。初期の頃はすごく実験的なことをやっていて、その後も、これまでにないものをやろうとしてるところがあって。最近はある程度時代に合わせているのかも知れませんね。

※ 写真は、「怪盗ブラックタイガー」サウンドトラック。
<漫画グラマーを持ったウィスット>

木村 タイの読者は『タムくんとイープン』が出た時に、絵がきれいになったのが嫌だ、という話をしていました。『hesheit』など、汚い絵でずっとやっていたので、なんか嫌だなとでも、ウィスット的には別に気にしていないみたいですけど。

吉岡 それは構わないような気がしますが。人によってはその方がいいっていう人もいますね。ウィスットさんが日本に行って帰って来た、というのはフランスでアートを習って来たみたいに、本場日本で漫画を習って来たみたいに受けとめられているのかな。

木村 タイ人は相当羨ましいみたいですよ。あいつ日本で売れてんだって、みたいな。でも、ウィスットのことをちゃんと評価しているタイ人って、プラープダーさんぐらいなんじゃないのかな。ウィスットの本はよく売れるし、読んでいる人はもちろんいるんですけど、作品をしっかり見て、一番よくウィスットのことを理解してくれているタイ人じゃないのかなと思っています。

吉岡 それはあるかもしれない。たぶんプラープダーさんがアーカイブ系の人だからじゃない? ウィスットさんも昔から、日本の漫画をたくさん読んでいるじゃないですか。

木村 ウィスットは、オタクタイプ(笑)。

吉岡 実はどっちもアーカイブ系で、ちゃんとデータベースを持っている人なのでは。飛び出る人ってそこがないと厳しいのかなと思うことがよくあります。でもそのタイの中で出てくると、そこはよく分からずに読む人が多そうです。日本の読者がウィスットさんを支持するのは、いろんなのを見た上で見ているからなのでは。本の中でも言っていましたけど、日本の読者のほうが漫画的言語が…。

木村 理解してくれますよね。読み方に、漫画グラマーがある。ウィスットがよく言っているのは、タイの読者は表面的なところをよく見たがるって言うんです。きれいだとか恐いとか、そういうところを見るのが好きみたい。日本人は描いていない余白まで読んでくれたりする。つまりプラープダーさんもそういうところまで読めているのかなあと。



吉岡 2人のウマが合うとしたら、たぶん両方ともアーカイブを知った上での表現だと分かっている共通性があるからなのかなと思うんです。以前、国際交流基金で日本に招待するタイの漫画家の選考を、漫画評論家の村上知彦さんにお願いしたことがあるのですが、タイの漫画をほとんど全部見ていただいたら、パラパラ見ているだけなのに、ウィスットさんを見てすぐ一発で「あ、この人にしましょう」っておっしゃったんです。

木村 あ、そうですか。

吉岡 僕はそんなにたくさん漫画を読んできたわけではないので、これってすごい雑だし、どうなのかなーって思っていたら、これはすごい、というふうにおっしゃって。だから、アーカイブがある人こそ分かるようなものだったのかなと。

木村 ウィスットの絵は雑ですけど、漫画のグラマーはちゃんと押さえていて、そこを村上さんは分かったんでしょうね。あと、プラープダーさんってすごいなと思ったのが、これじゃないウィスットの単行本が最近タイフーン・ブックスから出たんですけど、これがなんと表紙に何も文字が書いていなんですよ。背表紙も文字がない。後ろに名前がちょっと書いてあって、あとタイフーン・ブックスのロゴが汚い絵で描いてあるだけなのに、何も言わないでそれを本にしてくれたんです。たぶん、まともな経営判断で言うと、表に文字がないなんて無理ですよね。僕でも、どうかなって言いそうですけど、それをプラープダーさんは、ウィスットが持ってきたものを、いいよってそのまま本にしてくれた。いろいろ言えば、ウィスットがやりたいことが失われちゃうことが分かっているんですね。それをそのまま出すって、相当理解していないとできないことだよなと思うんです。本屋さんで棚に入れられると、ただの赤い本なので(笑)。それをやってくれるんですから、クリエイティビティを大切にするんだなあと、ホントにびっくりしましたね。

※ 写真は、ウィスット・ポンニミット「hesheit9」。
<対岸からの視線に恋し合う日タイ、その差異>



吉岡 そういえば『タムくんとイープン』も『座右の日本』も、それぞれタイ語版がタイで出ているんですよね。どちらも、タイ語が先ではなく、日本人が立案してタイ人に日本について書かせたという共通項がありますね。それがタイでそれなりにちゃんと流通するっていうのもすごい。

木村 タイ的には、わりとありな企画なんですよね。日本について書くというのは、マーケティング的にバッチリ売れそうな本って感じなんですけれど、この2冊の場合はどちらも日本で荒野を開拓するような本をまず日本で作って、それをタイに持って帰ったという。

吉岡 逆なのが面白いですね。日本側から熱い視線をタイに送る人って、観光的にはいるんですけど、そこからなかなか先へ行かない。2000年頃、木村さんとかが面白そうって言ってた頃から、核でそう言っている人ってあんまり数的には変わっていないですよね。それと、逆にタイ側で日本を見る目はどうかというと、日本の企業もたくさんタイへ行っているし…。

木村 漫画もあるし。

吉岡 日本にある程度の好感を持っている人は、もともと多かったと思うんですけれど、いろんな部分で日本特集の本とか雑誌とか、テレビ番組とか、さらに増えたイメージがあります。その両側のギャップをとても感じますね。

木村 でもタイでヒットしている日本関連の本は、ちょっと旅行した感想だけの本とかが多いですね。

吉岡 一般的には、入りこみ過ぎないほうが読みやすいのかもしれませんね。あまり入り過ぎると、分からなくなるのかも。旅行へ行くんだったらどこへ行ったほうがいいとか、料理はこういうのがあるとか、お好み焼きはこう食べるとか。逆もきっと一緒なんでしょう。やっぱり、タイっていうと、観光行くとかマッサージがどうとか…。

木村 旅行ガイドブックとかは何十万部も売れたりしてるのに、全然違いますよね。タイへ旅行に行く日本人って、年間100万人でしたっけ? その1%でもいいから2人の本を読んでくれ、という感じです(笑)。

吉岡 同じように渡航者が多いフランスとかアメリカとか、ニューヨークとかで考えると、そっちは例えば美術館特集とか、あるジャンルで深く掘り下げても、それなりに進むのに。

木村 タイのその少ない人口の中で、こういう日本のもの、サブカルチャーに対して向いているベクトルって比率的にはかなり多いですよね、日本人のそれに対して。なんでそんなに売れるんだろう、ウィスットを見ていても思いますけど、日本ではやっぱり大変ですよ。そこまでなかなか。

吉岡 これがバリアだと思った部分ってありますか? 知名度? ウィスットさんは日本のいろんな媒体に出ていますよね?

木村 媒体には出ても、タイ人だという部分がおもに取り上げられるんです。作品の話に行かないで、タイ人で日本に住んでいて日本の漫画を描いてる人がいますよ、っていう紹介…。プロフィールで記事の9割は埋まっちゃって、本質の話にならない。まともに評論されることがないのが嫌ですね。作品が駄目でもいいでも、なんでもいいんですけど、ちゃんと評価をしてもらいたいんです。

吉岡 俎上に乗らないんですね。

木村 ちゃんと文化一般として並べて欲しいですし、こちらも並ぶものだと思ってやっているんですけども、それに乗らないで、まずは外国人モノみたいな変なジャンルに入るんですよ。

吉岡 それって危険ですよね。マイナーファンみたいなものに囲われていっちゃうと、嫌ですよね。

※ 写真は「座右の日本」のタイバージョン「キェントゥンイープン」
<『観光』を選ばないプラープダーの凄さ>

木村 そうなんです。タイ好きでもなくって、またそのさらに小さいマイナーな外国文化ファンみたいな。そうなんですよ。だからなるべく普通のところに並べたい。そんなにタイ人タイ人という感じでアプローチしていないんですけどね。
あと、プラープダーさんの『鏡の中を数える』を読んだ時に思ったんですが、ちょうど同時期に出たラッタウット(・ラープチャルーンサップ)の『観光』に比べたら、どんなに『鏡の中を数える』がえらいことかって思いましたね。ラッタウットのほうが分かりやすくて、なんか泣けるとか、あるじゃないですか。だけど本当にプラープダーさんって『観光』みたいな外国人にわかりやすいタイっぽい話題は出さないで、すごい荒野を進んで行っている。それに比べるとラッタウットのって安直なんですよね。それは僕がタイのことをよく知っていて、プラープダーさんの状況とかタイの文化状況を知っているから感じるのかも知れないし、作品としては『観光』もそれはそれで面白いんですけれど、でもああいうやり方をプラープダーさんって全然選ばないじゃないですか。だからあれを読んでいて、すごいなって思いましたね。

吉岡 『観光』はamazonでのカスタマーレビューがオール五つ星なんですよね。びっくりしました。僕も読んでいて五つ星まではさすがに行かないと思っちゃったので、みんながどういう文脈で評価しているのか、よく分からなかったんです。

木村 感動モノっていう文脈なんじゃないですか?

吉岡 そこは不思議な感じがしましたけど。

木村 あのバンコクの、分かりやすいものが大好きな状況の中から、プラープダーさんみたいなシンプルで淡々としているもの、フラットな作品が生まれた。読んでいて、どこまでその面白さが日本人に伝わるのかなと思いましたね。それが分かると、もうめちゃめちゃすごいなって思ってもらえる作品だと思うんです。

吉岡 文学で競争していくのは大変ですよね。国内でそうした競争があるほうがレベルがどんどん上がっていくことが多いですが、タイにいるプラープダーさんの周囲には競争があまりないですし、他の国にも出て行って勝負しようと思うと、本当に大変だろうなあと思います。

木村 プラープダーさんに続く人っていうのがいないですね。それで、あ、なんか珍しく出てきたっていうのでラッタウットを手に取ってみたら、でもこれって結局また戻ってるじゃん、と思って。プラープダーさんがやっていることを進めるような人が出てこないかなと思います。漫画もそうですけど、真似っぽいんじゃなくて、自分の表現みたいな。日本のコピーじゃなくて。ウィスットがひたすら自分ワールドでやっているんだから、それを見て、ああいうふうにやってもいいんだって思って出てくる人がいそうなものなのに、あんまりいないんです。アートでもウィット(・ピムカンチャナポン)の下がちょっと空いちゃってる感じがありますし。

吉岡 10年ずつくらいで出てくる、という説をよく聞くので、またそういうのが出てくるかもしれませんね。

木村 プラープダーさんとかウィスットのジェネレーションって、テレビとか洋楽とか漫画とか、ユニバーサルなカルチャーが出てきて、それを小さい頃から見聞きしていますね。今の下の世代はもっとネットとかを普通に摂取しているので、それが育つまで、もうちょっとかかるかも知れないですね。

吉岡 この2人のコラボレーションがもっとあるといいなと思います。ウィスットさんのすごい点は、プラープダーさんとは全然違うと感じていて、それを絵で表現できちゃう点。日本を描かせたら、『ダーリンは外国人』とか、いろいろありますけど、例えばウィスットさんの切り取りでまず導入があって、分析はプラープダーさん、みたいな。それは面白いだろうなあと。

木村 ウィスットは来年デビュー10周年なんです。それでタイでいろいろやりたいらしくって、プラープダーさんにも何かお願いしたそうです。

吉岡 英語とか、他の言語での作品集はまだ出ていないですよね。韓国語版とか、中国語版もあっていいように思います。

木村 中国語とか、いいと思うんですけどね。中国からのオファーはいろいろあります。でもそれは、たぶん日本経由なんですよ。日本の雑誌を読んでいる中国人がコンタクトしてくるんです。事務所が日本にあるっていうは、アジアの人から見ると面白く見えるのかなと思います。
僕はプラープダーさんには、もっと街に出て行って、ディレクター業みたいなことをやって欲しいと思いますね。自分だけの仕事じゃなくて、ディレクションをするとか、キュレーションとか。オーバービュー型のタイ人って少ないですし、向いていると思います。ぜひ、やってもらいたいですね。
2007.12.22 収録 
■木村和博(株式会社マーマー代表)
1978年生まれ。東京外国語大学、タイ・チュラロンコーン大学で学んだ後、大手衣料メーカー勤務を経て、遠藤治郎氏のSOI MUSICに参加。タイと日本を結ぶ音楽イベントの他、横浜トリエンナーレや東京都現代美術館『Show Me Thai』展などでタイのアーティストをユニークな形で紹介している。タイの漫画家ウィスット・ポンニミットのマネージャーとしても活躍。
http://www.soimusic.com/
■吉岡憲彦(国際交流基金職員)
1974年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、国際交流基金(http://www.jpf.go.jp/)に入社。1999年から2004年まで同基金バンコク日本文化センター勤務、現地での日本映画祭、展覧会、舞台公演などを担当。帰国して現在は、国際交流基金芸術交流部造形美術課職員。共著に『アジア映画』(作品社)、翻訳書としてプラープダー・ユンの『地球で最後のふたり』(ソニー・マガジンズ)などがある。
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